平和

平和(へいわ)とは、狭義では戦争と対極にある状態で、暴力的な政治的活動が行使されない状態、争いがなく穏やかな状態を言います。また、人間が相互の恒常的な自由と秩序・安寧・平安などを実現・維持している状態であると言えます。例えば、具体的な戦闘が終結しているような場合においても、地雷が依然として埋まっているような土地では、生活に対する危険な状態が継続していて、完全に平和になったとは言えません。
貧困・飢餓・疾病・教育格差・情報格差などの存在が必然的に闘争へと結びつくという立場からは、これらの無い状態を平和の要件とすることもあります。大きな災害も秩序を喪失させることが多いため、これも平和の対極に置く考えもあります。


平和

平和を実現するためのモデル的な方法論はいくつかありますが、根本的な解決にはさまざまな要素により未だ至っていません。

  • 強力な支配者が覇権を維持することによって秩序を保とうという覇権主義の考え方です。
  • 各人・各国がお互いの独立と権利と自由を最大限に尊重・保障しながら発展しようという国際協調主義の考え方です。
  • 複数の国家が連合した国際機関を介した集団安全保障によって実現しようという考え方です。

  • 例として↓

  • ローマ帝国が地中海世界で実現したパックス・ロマーナ。
  • 国際連合や欧州連合が行っているさまざまな政治的、経済的、外交的な取り組み。
  • 国際連合が設立当初目指していた安全保障理事会による集団安全保障体制。
  • などが挙げられます。


    平和と戦争

    トルストイを代表とする多くの作家・表現者が『戦争と平和』と言う題名の作品を著しているように、戦争は平和を破壊する重大な行為であると言う考えから、単純に戦争がない状態を意味して「平和」と呼ばれることがあります。イマヌエル・カントの「永久平和のために」が平和に関する古典とされています。


    平和

    人類は歴史において継続的に争ってきました。史料が残っている6000年以内に発生した戦争だけに限ってもその回数は15000回以上であると考えられており、またドイツ社会学者のソローキンによれば12世紀から19世紀の間の戦争は平和期間を超え、その平和期間も軍事力の整備に当てられました。第二次世界大戦が終結した1945年から1990年の間に戦争や内戦は150回以上発生しています。戦争が本当に世界から無くった日は三週間だけであったとも言われています。「平和が普通であって、戦争は異常である」という戦争観が必ずしも正しくないことがここから分かります。


  • 国際連合は平和のために創設されましたが、多くの問題を内包しています。国連憲章にある集団安全保障は冷戦における米ソの対立により機能不全に陥りました。現在世界各地で行っている平和維持活動も人材や資金の確保、その権限や任務内容において数多くの問題があります。特にルワンダにおける平和維持活動は国連の限界や平和維持活動の問題を大きな問題を浮上させることとなりました。

  • テロは近年一般化しつつある手段であり、その社会に与える影響力・破壊力は大きい。しかし社会現象的な側面もあり、軍事力や法律だけの政策では解決が難しい。テロは非常に安価で安易な攻撃方法ですが、その対策体制を維持するには高度な費用と手間がかかり、また監視体制や公安活動に対する市民の反発を買いやすく、テロリストが優位に立ちやすい。

  • 大量破壊兵器の拡散は核兵器の開発技術、核物質、技術者が世界規模に拡散し、また比較的製造が簡単な生物兵器や化学兵器が世界各地に流通することであり、テロと結びつけば治安が大きく破壊されてしまいます。また積極的な軍事攻撃を方針とする国家に渡れば、軍事力の不均衡をもたらす可能性があるのです。

  • 民族・宗教・経済格差などの要因による紛争は歴史においても恒常的な戦争の誘因となってきました。国内における民族衝突や経済格差が深化すれば、国家間の戦争だけでなく、国内での内戦やクーデター、革命などに結びつきます。しかし、すべての蜂起が最悪の結果に繋がったというわけではなく、民主主義を確立するための王制との争いは歴史的な視点に立てば一定の成果が得られたものであるのです。しかし、いたずらに戦禍だけが拡大していき、結果的には経済的、政治的に大きな被害をこうむることとなった事件も多々あります。その内容、性質、方向性などによって結果は変わるのです。

  • 歴史的、とりわけ近代以前には地域内において戦争のない状態のみをもって平和とされていました。例えば、日本の豊臣政権は、一連の「豊臣平和令」によって村落から大名まで紛争の解決方法として武力による自力救済(戦闘行為)が日常的に行われてきた戦国時代を終わらせる事には成功しましたが、同政権とこれに続く江戸幕府による「300年の太平」は実際には封建体制と身分制度の強化による民衆への力による強権的支配と一体化したものであったのです。